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今更苦しそうな父を思い出したくないが、
イレッサが良いものか悪いものか別にして 事実を書かなくてはならない気がして。。 イレッサを飲み始めて4週間ぐらい(1、2週間ずれているかも) して息苦しいと父は言い出した。 診察日まで待つと言い張りやっと先生に会い、それを告げるが、 指先に酸素の血中濃度(?)を測るクリップのようなものを付け ああ、大丈夫ですね。 と言われ、そのまま痛み止めの量について話し合われ帰って来る。 それでもやっぱり息苦しいらしい。 そんな診察が2〜4回(2週間おきだとおもうので 息苦しいと言って2〜6週間経ったと思う。) そして忘れもしない昨年1月8日。 苦しいと。。 タクシーで行けるの?という問いに タクシーでも救急車でも、、、 という答え。 15年以上前腸に穴があいていた時も そんな程度の答え。 これは相当苦しいのだと救急車を呼んだ。 一番苦しいのを10としたら今はいくつ? と聞かれて2とか父は言っていたが どうやらそんな程度ではないらしかった。 病院について医者の説明で父の靴はもう使わないかもと覚悟した。 イレッサによって起こる肺炎はとても治り難いもので早期治療が要だと いろいろなサイトにもかいてあったし、先生もおっしゃっていた。 最初に父が言い出した、あの時が早期治療を始めるタイミングだったのでは?とそれからずっと疑問に思っている。指につけて酸素の濃度を測って先生は大丈夫とおっしゃっていたけれど実際にはあの時からなのでは?と思えてならない。 入院が決まって即、必要になった時人工呼吸器を付けるか否かを本人と家族に聞かれた。 聞く必要なそんな状態なのだと。。。。覚悟しました。
Three Dog Nightのアルバムです。
○○シーであなたの名盤教えてくださいなんて言うバトンを踏んで 10枚にまとめ書いたのですが懐かしいものをいっぱい思い出してしまいました。 そこでこんなカテゴリーを。 その1枚目。 確かAn Old Fashioned Love Songが流行っている頃に買いました。 もちろんLPです。 まだお小遣いもそれほど無かったので月に1、2枚買えれば良かったって言う感じでしょうか。 だから1枚買うと嫌という程繰り返し聞きました。 これも随分聞きました。 Never Been To Spain も他のどれも好きだったなあ。 父がイレッサを飲み始めて2週間ぐらい経った頃だろうか、肌が荒れだした。ちょっとやそっとのあれではない。すごい。指先は切れてしまって血がでる。そばで見ている母は気が気でなかったようだ。私は毎日会っている訳でなく通院のの間くらいだし、それで癌が治まるのだからと母を諭していた。診察日には父が可愛そうで母は先生に肌のことを言うが軽い軟膏程度しか出してもらえず、少しも改善されなかった。先生にしてみれば父の症状は『それどころじゃない』のかも知れない。でも私の指があれだけ切れたら痛くてたまったものじゃない。それが手足20本の指だ。この後出てくる副作用も相当なものということだったのだろう。。
結構楽しい日でした。
![]() 外国人記者クラブ(The Foreign Correspondents' Club of Japan)に行ってきました。 初めてです。 仕事の関係で呼んでいただきました。 今日のゲストは東国原さんでした。 トークもおもしろく、記者クラブなんてそれ自体にいることが結構エキサイティングでした。 癌かも知れないと分かって母の反応にびっくり。 放射線なんて冗談じゃないわよね。 とか言っている。 彼女は15年程前乳がんの手術をしている。 幸いそれ以来元気だ。 私はそんなことしないし、手術の後も薬も飲んでいないけど元気。 と随分強気だ。 母の場合は初期だったが父の場合は大分違う。 (今考えると母は信じたくなかったのかもしれない。ただ強気だったのではないかも。 きっとパニックだったのだ。) そんな訳でそれ以降私も通院には付いて行くことにした。 検査入院の後腺癌とわかりそれについて主治医の先生と話した。 父はそれまでかなり痛く辛かったらしく主治医の先生に会えて 薬の処方が合ったらしく全く痛くないと喜んでいた。 もうそれだけで満足という勢いだった。 80才という年令、転移の話からさきのことを考え 積極的な治療はしたくないようなことを父は先生に告げた。 兎に角入院はしたくないと。 そこで先生が提案してくれたのがイレッサだ。 錠剤で飲むのが簡単だ。 風邪薬と同じように飲める抗がん剤なんて夢のようだった。
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